湘爆ドカジャン考察①

いよいよ12/1から受注開始した「湘南爆走族 40th ANNIVERSARY ドカジャン ショートMODEL」ですが、早速沢山のご予約を頂きありがとうございます。

そこで「通称ドカジャン」について少しご紹介していきたいと思います。

上のように、湘爆本編でもたびたび登場するドカジャン。
まずはドカジャンのルーツからご紹介しなければなりません。

通称ドカジャンとは襟にボアの付いた防寒ジャケットです。
ドカジャンは名称の通り「土方(ドカタ)ジャンパー」(※現在は使いませんがドカタやドカチン等は昭和当時、建築土木関係に従事する方の俗称でした。今回はあえてそのまま掲載いたします)

ドカジャンのルーツは戦後高度経済成長を担った建築土木関係者が作業で愛用していたジャケットがルーツなのです。

そのジャケットとは、ズバリ!!なんと米軍のフライトジャケットやフィールドジャケット!!

写真:朝鮮戦争当時B-15Cを着て米兵の慰問に来たマリリン・モンロー。㈱ワールドフォトプレス社「飛行服発達史」より

B-15               B-15C

敗戦から奇跡の復活を遂げた日本ですが、その背景には1950年に勃発した朝鮮戦争がありました。
朝鮮戦争の勃発によって日本の受注が急増し、戦後不況を脱した日本経済は1951年に戦前水準を超え、60年代の高度経済成長に向かったのです。
その大きな力となったのが建築・土木等に従事する方達でした。

上記のフライトジャケットを含め、当時米軍より払い下げ物資が格安で放出されました。
戦後全てを失い貧しい状態でしたが、払い下げられたボロボロの放出品を綺麗に修理し、着れるように再生して格安で販売されたのです。
しかし払い下げとはいえ、当時の米軍被服は日本の物より丈夫で暖かかったのです。
復興作業に係わる作業員たちに「安くて、丈夫で、暖かく、動きやすい」ジャケットは大人気となりました。
当初米軍払い下げ品を補修して販売していた業者も、国内で新たに新品で製造するようになりました。
そして「丈が長ければもっと暖かい」と言う現場の声を反映してロングタイプのドカジャンがMADE IN JAPANで販売されるようになったのです。

※写真は2006年に弊社が作成した湘爆ドカジャン(現在販売はされていません)

戦後のどん底から立ち上がった日本を支えた人たちが愛した「ドカジャン」は1970年代にバイクに乗る若者たちにも愛されたのです。

今回の湘爆ドカジャンは、湘爆のルーツを描いた「湘南爆走族ファーストフラッグ」をリスペクトし、40周年の記念として
共に青春を駆け抜けた1着「ドカジャン」のルーツの意味を込めて企画いたしました。

熱い魂のこもった1着、ご期待頂けたら幸いです。

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